意外と知られていない黒田博樹の「補欠時代」
2014年シーズンでヤンキースではただ一人ローテーションを守った黒田博樹。
日本、アメリカでも正真正銘のエースだが、そんな彼も高校時代は意外にもエースではなかったらしい。
1学年で7人のプロ野球選手が出た超強豪の上宮高校。
黒田選手が高校2年生のころ、3年生には後にプロ野球選手になるスターがごろごろいた。
薮田安彦元投手
(元千葉ロッテマリーンズ、カンザスシティ・ロイヤルズ)
中村豊 元選手(元阪神)
など、黒田選手以外にも多くの実力のある選手がいた。
いよいよ黒田さんが最上級生の代になると、順当にいけば2年生で背番号10を背負っていた黒田さんがエースになるはずだった。
しかし、新チームでは溝下進崇(現・大阪ガス投手コーチ)がエースナンバーを背負った。
しかも、最後の夏の大会(大阪地方予選)では、登板の機会すらなかった・・・。
なぜ、高校時代に活躍ができなかったのか?
速球にスライダー、いいボールを持っていたが安定感に乏しく、苦しい展開になると四球を連発するなど、「精神的な弱さ」が弱点であると指摘されていた。
しかし、チームメートはそれを否定する。
「当時、クロは打たれたり、不甲斐ないピッチングをしたりすると、よく監督に走らされていました。そこで絶対に音を上げず、ずっと走っているんですよ。精神的に弱かったら、そんなことはできません。彼のストイックさは、控えだった高校時代に培われたのかもしれないですね」
黒田が3年生の時のエースの溝下進崇氏はインタビューで、
高校時代、クロ(黒田)が結果を出せなかったのは、投手としての優れた素質に対し、体も技術もまだ成長途上だったからなんです。つまり、バランスが悪かったんだと思うんです。コントロールの乱れもそれが原因だったと思います
投手としての才能は最初から私や西浦よりもクロの方が上でしたよ。初めて間近でスライダーを見た時の印象は強烈でした。当時、私は3人の中で一番、安定していたから背番号1をもらえたのかもしれませんが、本当はクロがつけてくれたらなぁと思っていたくらい
話を総合すると、大器晩成だったということ。
日本、アメリカでも正真正銘のエースだが、そんな彼も高校時代は意外にもエースではなかったらしい。
1学年で7人のプロ野球選手が出た超強豪の上宮高校。
黒田選手が高校2年生のころ、3年生には後にプロ野球選手になるスターがごろごろいた。
薮田安彦元投手
(元千葉ロッテマリーンズ、カンザスシティ・ロイヤルズ)
薮田安彦 pic.twitter.com/718olUw05T
— てる@CLM (@teru_marines) 2013, 10月 21
中村豊 元選手(元阪神)
元阪神中村豊の思い出 http://t.co/9RYnzGG6Yx pic.twitter.com/UVDQ2m7LyG
— 虎のアンテナ (@ht_antenna) 2015, 1月 2
など、黒田選手以外にも多くの実力のある選手がいた。
いよいよ黒田さんが最上級生の代になると、順当にいけば2年生で背番号10を背負っていた黒田さんがエースになるはずだった。
しかし、新チームでは溝下進崇(現・大阪ガス投手コーチ)がエースナンバーを背負った。
しかも、最後の夏の大会(大阪地方予選)では、登板の機会すらなかった・・・。
なぜ、高校時代に活躍ができなかったのか?
速球にスライダー、いいボールを持っていたが安定感に乏しく、苦しい展開になると四球を連発するなど、「精神的な弱さ」が弱点であると指摘されていた。
しかし、チームメートはそれを否定する。
「当時、クロは打たれたり、不甲斐ないピッチングをしたりすると、よく監督に走らされていました。そこで絶対に音を上げず、ずっと走っているんですよ。精神的に弱かったら、そんなことはできません。彼のストイックさは、控えだった高校時代に培われたのかもしれないですね」
黒田が3年生の時のエースの溝下進崇氏はインタビューで、
高校時代、クロ(黒田)が結果を出せなかったのは、投手としての優れた素質に対し、体も技術もまだ成長途上だったからなんです。つまり、バランスが悪かったんだと思うんです。コントロールの乱れもそれが原因だったと思います
投手としての才能は最初から私や西浦よりもクロの方が上でしたよ。初めて間近でスライダーを見た時の印象は強烈でした。当時、私は3人の中で一番、安定していたから背番号1をもらえたのかもしれませんが、本当はクロがつけてくれたらなぁと思っていたくらい
話を総合すると、大器晩成だったということ。